薄紙

 彼の遺書にはわたしの名前は一度たりとも出てこなかった。それは彼にとってのわたしという存在の軽さのあらわれであって、恋人という存在の軽さのそれだと錯覚してはいけないと思った。
 名前を書かれた彼の両親や兄弟、友人たちの言う「君のことを考えていないわけないじゃないか」は、わたしの心を余計えぐった。近過ぎる存在だから書かなかったなどでは決してなく、悪意があったわけでも決してなく、死ぬ間際に興味のないテレビタレントのことを思い出さないように、死ぬ間際に彼はわたしのことを思いださなかっただけだ。
 おそらく彼に「ねえわたしのことが書かれていなかったのだけれど」と文句を言ったら、彼は慌ててごめんと謝り早口で言い訳するはずだ。そのくらいの、軽さ。

 

 関係性を言葉として定義しなければ、わたしはこんなに苦しまなかったろうか。死ぬ間際に恋人を思い出してくれなかった彼は全く悪くなく、死ぬ間際に恋人に思い出されなかったわたしが悪いわけでもなく、ただ事実としてそれがあるのみで、だからもうどうしようもない、変えがたいそれにこんなにも打ちのめされていては、どうあがいてもわたしは立ち直りようがない。
 死ぬ間際の彼の精神状態、たとえば恋人が最愛のひとだとして、それを思い出さなかった彼の精神状態を推理し理論付け「死ぬ間際に思い出されなかった恋人こそが彼がこの世で最も愛した人物だ」という結論に無理矢理持っていくことはわたしには容易く、しかしそれが本当に正しい謎解きだとしても、結論が変わるわけじゃなかった。

 

 言えるものなら言いたかった、死に行く彼の頬を叩いて無理矢理目をこじ開けてわたしを見てと、わたしのことを思い出してと、言えるものなら言いたかった。しかしそれで思い浮かべられてもわたしは本当には納得しないだろうし、彼が死ぬ直前にもしタイムスリップできたら行うのがそれだなんて、酷く歪んでいるし醜いと思った。

 

 

 どうあがいても彼は死んだし、彼の最後の恋人がわたしなのには代わりはなかった。彼が死ぬ間際に思い出したのはわたし以外の人間ばかりで、でも物理的に一番近くにいたのは他でもないわたしだったから、彼の部屋や遺品の整理はわたしが中心となり行った。わたしと彼の共同の所有物はすべて、わたしが譲り受けた。彼自身の持ち物にもわたしの気配が色濃いものがたくさんあって、でもそれを近くにおいてしまうとわたしと彼が恋人だったという証左になってしまう気がして、でも他人に譲り渡すのも気が引けて、段ボールに入れてとりあえず押入れの奥に突っ込んだ。
 他人に期待するのは間違いだとそんなこと百も承知だったのに、彼の遺書を見たとたん、そういう気持ちが吹っ飛んでしまった。だけども誰も悪くない、わたしを思い出さなかった彼も悪くないし、思い出されなかったわたしも悪くないし、それは「思い出してもらえなかった」という類の話ではなくて、でもなんて理屈付けたって、その事実はえいえんに変わらない。

 

 彼が死んだことに対して、もう素直に泣くことができなかった。みんなが彼を悼んでいる中で、わたしの彼に対する気持ちは、だんだんにくしみみたいな色に変わっていっていて、そんなの絶対、間違っていると思った。

 

 ねえわたしはもしかして彼が死んでしまったことよりも、彼が死ぬ間際に自分を思い出してくれなかったほうが悲しいのではないのかな、そんなこと考えるような人間だから彼だって死ぬ間際にわたしのことを思い出したりしないんだわって、冗談にならなくて笑えなかった。