おしまいの日

 世界の終わりの始まりを、僕は確かにその日見た。





 朝4時50分、展望台から見える景色は真っ暗だった。宝石箱と呼ばれるような有名な観光地とは違う、お金のかけられなかったクリスマスツリーの電飾みたいな、そんな夜景を僕らは見ていた。
 冬は朝が来るのが本当に遅い、それでもあと10分もすればだんだんと、真正面の水平線から朝日が昇り平凡な一日が始まるはずだった。
 世界の終わりの始まりが、小さな島国日本のそのまたはしっこのちいさなこんな町から訪れるとは僕は想像していなくて、でもそれを見た瞬間、確かにそうだと確信した。
 右側の港で起こった中規模な爆発を展望台から見つめていたら、全然寒さを感じなかった。


 以前にもどこかでこんな景色を見たな、と思った。何かの本の見返しに使われていた実写の写真、それにそっくりだと思い出した。
 世界最後の日は寒くなく、暖かくもなかった。気温というものがなくなったみたいだった。隣にいたはずの彼女の姿はいつの間にか見えなくなっていて、でも確かに横にいる気配がした。世界の終わりの始まりしか、僕には見えなくなってしまったのかと思った。
 爆発が起こっているのに町が騒がしくなる気配は全くなく、他の人の姿も走る自動車も見なかった。そういえば爆発音すらしなかったし、火柱も上がらなかった。
 ぽつりぽつりと点在する民家の明かりでぼんやりとわかる海岸線の輪郭と左右から迫る稜線は、全くもって穏やかだった。最後はここで過ごす予感はずっと前から僕にはあって、だから今日どうして久々にここに来たのか、理由は思い出せないけどそういうことなんだろうと思った。

 

 世界最後の日に、姿は見えなくとも誰かと一緒に過ごせることを僕は喜ぶべきだと思った。だけども最後の日を一緒に過ごす世界で一番大切な相手の名前すら、僕はその瞬間忘れてしまった。今まで好きだと思った全部の人が、僕の隣にいるような気がした。人に何かを望むのは間違いで、誰かに何かを言う権利は僕にはなくて、そうして迎える結末がこれかと思った。結局誰とも一緒にいられなかったし、みんなと最後まで一緒にいられた。他人に何かをして欲しいと思うのは間違いで、してくれないということから相手の心を推し量るべきで、何かを望むのも間違いだからしてくれないのが我慢できないなら黙って離れるしかなくて、その結果がこれだ、と思った。僕は最後まで一人きりだったし、すべての人と一緒にいられた。でもこんな特等席で世界の終わりの始まりが見られるなんてまるで僕がこの世界の主役みたいで、まるでこれから僕が、終わりの始まりを止める物語が始まるみたいだと思った。

 

 

  何にもしないしできないのが正義で他者への誠意で、だから僕は何かを思ってばかりで、なんにもしなかったしできなかった。