はじまりと、なつのはなし


 「これに着替えてください」と言われて真っ白なシャツを渡された。季節は夏、制服が半袖シャツだということには何の違和感もなくて、バイト初日だし上司が言うのだし、と、わたしは埃臭い更衣室でそれに着替えた。「着替えました」と更衣室を出たわたしを見て上司は眉を顰め、「ああごめん、そういう事情ならこっちでいいから」と長袖シャツをわたしに放る。バイト上がり、最寄り駅まで電車に乗って帰るわたしにその上司がついてきて、電車の中で自分がいかに可哀想な女の子に理解があり優しく思いやりがあるかをわたしに説いた。空いている電車のシートに隣に並んで座った上司の太腿はわたしのそれにぴったり触れていて、わたしは左太腿の感覚をシャットアウトするのに忙しかった。寄り駅に着いて「じゃあ…」という歯切れの悪い挨拶を残して車両を飛び出し、上司に渡された「何かあったら連絡して」というプライベートな携帯電話番号のメモを破り捨てバイト先の電話番号を着信拒否にした。


 前述のバイト先ーー西荻窪のパチンコ屋ーーは、その上司が気持ち悪くて一日で辞めた。お金をもらうために働くのだから職場で人間関係を構築する気は更々なくて、そう決めてしまえば何もかもがとても楽だった。パチ屋の次に勤めたテレアポの事務所は西新宿にあり、教えられたとおりパソコンを睨んで受話器の向こうと会話をすればそれでよかった。たびたび、朝礼で名前を挙げられ褒められることがあった。わたし宛ではない電話に出て機械のように処理をして、言われたとおりのことをしているだけなのにみんなの前で誉められるのが不思議でしょうがなかった、みんな同じ研修を等しく受け、同じ制服を着て同じパソコンを睨む、だのにわたしだけ何か言われるのがどうしても理解できなくて、誉められる度これは職場で人間関係を築こうとしないわたしに対する遠回しな嫌味なのかと本気で考えた。声優を目指しているというバイトリーダーの男の子は最近何かのパソコンゲームに採用されたと喜んでいて、そのゲームのタイトルをわたしに確かに教えてくれたのにその子と別れ改札を通る頃にはすっかり忘れてしまっていた。


>>>いつかつづく