紺地と白線、鈍色

 口を開けば際限なく唾液が出てきた。粘度の高いそれはしかしとてもさらっとしていて伸びがよく、そしてにおいもしなかった。白く泡立ったそれを右手の三本の指で伸ばし、掠れてくると舌を這わせて唾液を補充しながら範囲を広げた。
 これが塗られている部分はわたしの支配下で、つまりこのひとはもうわたしのものだ。まないたのなんたらとはうまい例えだなと思う、このひとはもう、わたしに調理され食べられるしかない。

 アルファベットの名前の付いたあのポーズはなんて馬鹿らしくて合理的なんだろう。十も年上の成人男性が、左右の足を大きく開いて両腕を体の後ろで突き、下半身をさらけ出してわたしを上目遣いで見るのは、愛おしいのとおんなじくらい、死ねばいいのにと思う。
『あんなことは平凡で、常識的で、適度でなければならないものだ』と、見知らぬ女が青鬼の褌を洗いながら囁く。全くわたしもそう思う。技巧を凝らし雰囲気を作り上げ相手を高める演技は演技でしかなく、それがすなわちサーヴィスなら、わたしは対価に何をもらっているのだろう。

 

『セーラー服』と言ってもデザインは千差万別で、高校のそれは中学のものより生地が分厚くごわごわしており、端的に言うとダサかった。白と紺のセーラー服なんて可愛くしかなりようもないだろうに、生地感とシルエットのせいで絶望的に野暮ったい。胸当てのスナップボタンが外れないように気をつけながら、バンザイをしてわたしはそれをすっぽりかぶる。
 背中に垂れた大きな襟の、二つの角には小さな銀色の鈴がついている。鈍く濁ったそれは低く小さく、しかし鋭い音で鳴り、生徒たちの場所を教師に教える。
 すでに結んだ形で脱着できる短い紺色のタイを、これまたスナップボタンで留める。胸当てとタイのスナップボタンは留めにくく外れやすい、だから極力外さずに制服を脱ぎ着したいのだけれど、タイをつけたまま脱がれたセーラー服はなんだか死骸に見えるから、わたしは帰宅するといつも真っ先にそれを外し、そして着るときは一番最後につける。特徴的な鈴よりも、タイこそがこのセーラー服の要、わたしたちを監視する目だと思う。

 歩くたびに背中からリン、と、低く涼しい音が聞こえる。

 わたしはそれを魔除けに感じる、タイは嫌いだけれど鈴は好きだ。制服を着てしまえば誰も、わたしのこれを脱がせない。ただ一人わたしが自分で脱ごうと決めない限り、誰にもわたしを侵せない。
 鈴の音が邪悪なものを遠ざけてくれるというのは先生の説で、教師が私たちの位置を把握するためなんて理由は到底周りに受け入れられるはずがなく、だから彼らはことあるごとに、鈴の理由を魔除けに求める。
 でもわたしはそれを正しいと思う。歩くたび鈴がリンと鳴る、わたしの背後でリンと鳴る。
 そこのけそこのけ、とわたしは思う。まないたの上にはもう、醜い残飯しか残っていない。