奥野と奥村

 わたしの恋人と親友の名前はとても似ている、奥野と奥村。わたしの携帯のアドレス帳には二人とも、フルネームで登録がされている。いまだにガラケーを使っているわたしのメールボックスには、奥野某からのメールと奥村某からのメールがずらりと並ぶ。
 恋人がいて親友がいてもいわゆる「ぼっち」というものは存在する、それがつまり、わたし。親友も恋人もいればさみしいことなんかないみたいな気がするけれど、わたしには物理的にひとりの時間が長く(それも、かなり長く)あり、つまりそれはもう「ぼっち」と呼んでもいいのではないか、と思っている。

 

 高2の時に出会った奥村――こっちが親友――はともかく、奥野とは出会って半年強。友達作りが非常に苦手なわたしはしかし、不思議と恋人は途切れない。これは決してモテるモテないという問題ではなくて、恋人でもいなければ「本当にひとり」になってしまう、そのことへの危機感というか、必然性のようなものからそうなっているのだと思う。友達すら作れないのに恋人ができるのは自分でもなんだか不思議だけれど、海岸でぼおっと砂浜を眺めていたら、なんとなく手にとっても良いかなと思える貝殻を見つけてそれをポケットに入れるような、そんな感じで恋人は、いつも、できる。

 恋人になる人の名前は不思議といつも似ていて、こうちゃんが2人、まあくんは3人、ゆうちゃんに至っては5人いて、でも奥野はそのどれにも属さない。出会ってすぐに(付き合ってすぐに、とも言う)わたしは奥野に、彼を苗字で呼ぶようにお願いをされた。奥野の前の彼女が奥野のことを、それこそこうちゃんやゆうちゃんみたいに下の名前の愛称で呼んでいるのをわたしは知っていて、だから奥野の言う「ぼく、苗字で呼ばれるのが好きだから」にどんな顔をしていいかわからなくて、とりあえず笑って頷いておいた。奥野の下の名前、確かXXXだったっけなってたまに思い出したりするけれどそれはなんだか現実味がなく、奥野はわたしにとっては今も今までもこれからもずっと、奥野でしかあり続けない。

(いつか続く)