ゆめの話

 死んじゃった男の子の夢を見た。

 その子はまだ生きていて、わたしには猫がいなかった。死んじゃった男の子は物語を越えて、わたしの夢に入ってきた。高校に入ってから出会ったはずのわたしたちはまだ中学生で、彼の髪はまだ短かった。

「ねえこれ、柏木」と彼が指さす集合写真、みんなで海に遊びに行ったときに撮られたそれの余白には、お世辞にも綺麗とは言えない時で撮影年月日が記されていた。マジックで乱雑に書かれた右上がりの文字は、なんとなく幼い感じがした。今であれば少なくとも常に4人の女の子に囲まれている柏木君の隣にはまだ、一人の女の子しかいなかった。みんながカメラを見つめているのに柏木君は隣の女の子になにか怒られているらしく、写真の左上で柏木君達二人は二人の世界を作っていた。これからここに後輩が、妹が、同級生が加わり、柏木君のハーレムは拡大する。彼女も大変だなと思うと同時に、彼は周りの女の子に等しく接していたから、この子と一番付き合いが長く、この子と二人だけの世界があったなんてとすこし驚いた。わたしが柏木君に出会ったときには彼の世界には四人の女の子がその中心にいて、だから彼の世界が彼女と二人だったときのことなんて、想像すらしなかった。

 目の前の“彼”は生き生きしていて、当然のように中学生の日常を話す。永遠に知ることが出来なかった中学生の彼の日常や彼の親友であるところの柏木君との出来事を、わたしも当然知っているかのように話されて「わたしはこの頃まだ柏木君と知り合っていなかったから」などと口走り、うまく誤魔化せなかった自分に焦るけれど彼は何にも気付かずに話し続ける。わたしに出会う前の彼が、わたしを見てわたしに話しかけることに、頭がぼおっとしてしまう。今の彼の母親は生きていて、彼は学校でも手がつけられないくらい暴力的だったはずなのに、わたしには穏やかに話しかけてくれて、だけども握りしめた彼の手の、握った中にどこにも放出できないいらだちみたいなものがあるのがひしひしわかってしまったから、細心の注意を払ってわたしは相槌を打ち続けた。

 柏木君の名前ははっきり思い出せる、それは多分まだ、柏木君が生きているから。
 大好きだった目の前の彼の名前が全く思い出せないのは、彼がもう、この世にいないから。

薄紙

 彼の遺書にはわたしの名前は一度たりとも出てこなかった。それは彼にとってのわたしという存在の軽さのあらわれであって、恋人という存在の軽さのそれだと錯覚してはいけないと思った。
 名前を書かれた彼の両親や兄弟、友人たちの言う「君のことを考えていないわけないじゃないか」は、わたしの心を余計えぐった。近過ぎる存在だから書かなかったなどでは決してなく、悪意があったわけでも決してなく、死ぬ間際に興味のないテレビタレントのことを思い出さないように、死ぬ間際に彼はわたしのことを思いださなかっただけだ。
 おそらく彼に「ねえわたしのことが書かれていなかったのだけれど」と文句を言ったら、彼は慌ててごめんと謝り早口で言い訳するはずだ。そのくらいの、軽さ。

 

 関係性を言葉として定義しなければ、わたしはこんなに苦しまなかったろうか。死ぬ間際に恋人を思い出してくれなかった彼は全く悪くなく、死ぬ間際に恋人に思い出されなかったわたしが悪いわけでもなく、ただ事実としてそれがあるのみで、だからもうどうしようもない、変えがたいそれにこんなにも打ちのめされていては、どうあがいてもわたしは立ち直りようがない。
 死ぬ間際の彼の精神状態、たとえば恋人が最愛のひとだとして、それを思い出さなかった彼の精神状態を推理し理論付け「死ぬ間際に思い出されなかった恋人こそが彼がこの世で最も愛した人物だ」という結論に無理矢理持っていくことはわたしには容易く、しかしそれが本当に正しい謎解きだとしても、結論が変わるわけじゃなかった。

 

 言えるものなら言いたかった、死に行く彼の頬を叩いて無理矢理目をこじ開けてわたしを見てと、わたしのことを思い出してと、言えるものなら言いたかった。しかしそれで思い浮かべられてもわたしは本当には納得しないだろうし、彼が死ぬ直前にもしタイムスリップできたら行うのがそれだなんて、酷く歪んでいるし醜いと思った。

 

 

 どうあがいても彼は死んだし、彼の最後の恋人がわたしなのには代わりはなかった。彼が死ぬ間際に思い出したのはわたし以外の人間ばかりで、でも物理的に一番近くにいたのは他でもないわたしだったから、彼の部屋や遺品の整理はわたしが中心となり行った。わたしと彼の共同の所有物はすべて、わたしが譲り受けた。彼自身の持ち物にもわたしの気配が色濃いものがたくさんあって、でもそれを近くにおいてしまうとわたしと彼が恋人だったという証左になってしまう気がして、でも他人に譲り渡すのも気が引けて、段ボールに入れてとりあえず押入れの奥に突っ込んだ。
 他人に期待するのは間違いだとそんなこと百も承知だったのに、彼の遺書を見たとたん、そういう気持ちが吹っ飛んでしまった。だけども誰も悪くない、わたしを思い出さなかった彼も悪くないし、思い出されなかったわたしも悪くないし、それは「思い出してもらえなかった」という類の話ではなくて、でもなんて理屈付けたって、その事実はえいえんに変わらない。

 

 彼が死んだことに対して、もう素直に泣くことができなかった。みんなが彼を悼んでいる中で、わたしの彼に対する気持ちは、だんだんにくしみみたいな色に変わっていっていて、そんなの絶対、間違っていると思った。

 

 ねえわたしはもしかして彼が死んでしまったことよりも、彼が死ぬ間際に自分を思い出してくれなかったほうが悲しいのではないのかな、そんなこと考えるような人間だから彼だって死ぬ間際にわたしのことを思い出したりしないんだわって、冗談にならなくて笑えなかった。

 

 

おしまいの日

 世界の終わりの始まりを、僕は確かにその日見た。





 朝4時50分、展望台から見える景色は真っ暗だった。宝石箱と呼ばれるような有名な観光地とは違う、お金のかけられなかったクリスマスツリーの電飾みたいな、そんな夜景を僕らは見ていた。
 冬は朝が来るのが本当に遅い、それでもあと10分もすればだんだんと、真正面の水平線から朝日が昇り平凡な一日が始まるはずだった。
 世界の終わりの始まりが、小さな島国日本のそのまたはしっこのちいさなこんな町から訪れるとは僕は想像していなくて、でもそれを見た瞬間、確かにそうだと確信した。
 右側の港で起こった中規模な爆発を展望台から見つめていたら、全然寒さを感じなかった。


 以前にもどこかでこんな景色を見たな、と思った。何かの本の見返しに使われていた実写の写真、それにそっくりだと思い出した。
 世界最後の日は寒くなく、暖かくもなかった。気温というものがなくなったみたいだった。隣にいたはずの彼女の姿はいつの間にか見えなくなっていて、でも確かに横にいる気配がした。世界の終わりの始まりしか、僕には見えなくなってしまったのかと思った。
 爆発が起こっているのに町が騒がしくなる気配は全くなく、他の人の姿も走る自動車も見なかった。そういえば爆発音すらしなかったし、火柱も上がらなかった。
 ぽつりぽつりと点在する民家の明かりでぼんやりとわかる海岸線の輪郭と左右から迫る稜線は、全くもって穏やかだった。最後はここで過ごす予感はずっと前から僕にはあって、だから今日どうして久々にここに来たのか、理由は思い出せないけどそういうことなんだろうと思った。

 

 世界最後の日に、姿は見えなくとも誰かと一緒に過ごせることを僕は喜ぶべきだと思った。だけども最後の日を一緒に過ごす世界で一番大切な相手の名前すら、僕はその瞬間忘れてしまった。今まで好きだと思った全部の人が、僕の隣にいるような気がした。人に何かを望むのは間違いで、誰かに何かを言う権利は僕にはなくて、そうして迎える結末がこれかと思った。結局誰とも一緒にいられなかったし、みんなと最後まで一緒にいられた。他人に何かをして欲しいと思うのは間違いで、してくれないということから相手の心を推し量るべきで、何かを望むのも間違いだからしてくれないのが我慢できないなら黙って離れるしかなくて、その結果がこれだ、と思った。僕は最後まで一人きりだったし、すべての人と一緒にいられた。でもこんな特等席で世界の終わりの始まりが見られるなんてまるで僕がこの世界の主役みたいで、まるでこれから僕が、終わりの始まりを止める物語が始まるみたいだと思った。

 

 

  何にもしないしできないのが正義で他者への誠意で、だから僕は何かを思ってばかりで、なんにもしなかったしできなかった。

ハッピーエンドののこりかす

 久しぶりに昔好きだった人を見た。
 
 そこそこ混んでいる居酒屋の、わたしはテーブル席にいた。彼は座敷で男3人で飲んでいて、壁には上着やコートがかけられていた。わたしの席からは彼の後姿しか見えなかったけれどそれでもすぐに彼だとわかって、学生時代で失ったと思っていた、好きな人がどこにいてもオーラでそこだけ輝いて見える能力は、なくなったわけではなく発揮される機会がなかったのだなあとわたしはぼんやり考える。
 おそらく最近髪の毛を切ったのであろう小ざっぱりした襟足は好ましく、でもあの首筋に腕を回すことはもうないのだなあと素直に思う。触れたいわけではない、でも、触れられないのだと。

 彼ともう一度付き合いたいとは微塵も思っていないわたしにとって、彼のことをまだ好きだと実感するのは日常の喧騒でうやむやにしていた自分の傷を再認識するみたいな行為だ。日常生活には支障がないけれど洋服を脱げば目立つ大きな傷跡のよう、それが年々薄れ行くのはわかっているけどそれでも死ぬまで消える気もしなくて、生きている限り共存することをとっくに覚悟(というより、諦めといったほうがいいかもしれない)しているけれど、それでも忘れてはいけないもの。だからこの痛みは、幻肢痛みたいなもの。

 お酒と料理を頼み、それらが運ばれてくる前にテーブルに調味料がないのに気付く。空いている隣のテーブルから拝借するか店員に言えばいいものを「とってくるね」とお会計を済ませ帰るしたくをしている彼のテーブルまでわたしは歩く。ちょうどトイレに立つ彼がわたしをちらっと見た気がしたけど気付かないふりをして無視して歩く。幸い、同席している彼の友人にはわたしの知っている人はいなくて、「すみません、お醤油借ります」と一声かけられ「ああ、どうぞ」と笑顔で答える彼の友人の顔を見て、わたしは怪しまれなかったことに安堵する。
 

 好きだった人を見かけたとき、見かけたことをこうして思い出すとき、必ず隣に小さくてかわいらしい女の子を想像する。客観的に見て彼が誰と一緒にいたら幸せなのか、そんなことわたしでもわかる。だから話しかけたりしないしコンタクトを取ったりしない、そもそも最初に離れたのはわたしだ。

 「後悔」が、「あんなことしなければよかった、もう一度やりなおしたい」を指すのであれば、わたしのこれは後悔じゃない。あんなことしなければよかったとは思うけど、わたしが離れたおかげで結果彼が幸せになるのならハッピーエンドじゃないかと思う。

 もしかしたらわたしはこうしてことあるごとに、今がハッピーエンドの続きだと、自分に言い聞かせているのかな、と思う。自分を抑える呪文、自分が平静でいるための呪文。これから続くわたしのくだらない人生が、彼のハッピーエンドののこりかすなら、それはわたしが選んだことでもある、そんな屁理屈みたいな矜持を核に、わたしの地球は回っている。

アンチ・ショートカット・ファンクラブ

 ロングヘアで巨乳なんてのは今時古いのだと思う。

 わたしの好きになる男の子はことごとくショートカットの貧乳好きで、さすがにサラシは巻けないからと髪を20センチバッサリ切った。スースーする襟足にも慣れて、でも忙しくて美容院に行けず、そろそろショートカットと言うよりも短めのボブと呼んだ方がいいかもしれないというころ、恋人はあっさりわたしをふった。

 

 理由はわからなかったし、聞かなかった。彼はこのひとつき、「僕はもう君に興味がない」ということを全身全霊で現していて、気づかないふりももう限界だった。他に好きな人ができた・仕事が忙しい・単純に飽きた――なんであれわたしに興味がなくなったということだ。

 それさえわかれば十分だったし、目をそらしてもつむっても肌で感じる彼の熱の低下を今更言葉にして聞きたくなかった、だから「別れよう」と言われたとき、わたしは「うん」とあっさり答えた。

 

 失恋したし髪でも切るかと思ったけれど、肩に付くか付かないかの微妙な短さの髪を切ってもあまり代わり映えはしないし、なにより彼の好きだと言ったショートカットになってしまうのでどうしよう、と一人で考える。

 髪を切ったら手っ取り早く新しい自分になれる(気がする)というのはある意味事実で、わたしはあのとき彼に相応しい、新しい自分になったはずなのに何でこんなことになったのだろうとずぶずぶ思考の沼に片足を突っ込んでしまいそうになり、慌てて手元の雑誌を繰った。

 逆にエクステをつけていきなりロングにするとか? ああでも外したら結局はショートカットのわたしが現れるところがあまりに示唆的でいたたまれない。じゃあこれからロングヘアを目指す――にしても満足するまで伸びるだけの期間彼を引きずってるみたいで悲しすぎる。もしかしたらわたしはこれから、髪を短く切るたびに彼のことを、「短いのも似合ってるよ」と言ってくれた笑顔やなんかを思い出すのかな、それはあんまりにひどいことだ。

 実感したことがない「女は上書き保存」というフレーズが救いのようにわたしの頭上をグルグルグルグル回るけど、わたしには全消去も改変も追加更新もなさそうで、Ctrl+Sを連打したって変わらない現状があるばかりだ。

 

 ショートカットファンクラブを聞きながら鏡を見たら、瞼を腫らしたショートカットのわたしと目があって、わたしはこっそりため息をついた。

 

https://myspace.com/knotscream/music/song/6083004

はじまりと、なつのはなし


 「これに着替えてください」と言われて真っ白なシャツを渡された。季節は夏、制服が半袖シャツだということには何の違和感もなくて、バイト初日だし上司が言うのだし、と、わたしは埃臭い更衣室でそれに着替えた。「着替えました」と更衣室を出たわたしを見て上司は眉を顰め、「ああごめん、そういう事情ならこっちでいいから」と長袖シャツをわたしに放る。バイト上がり、最寄り駅まで電車に乗って帰るわたしにその上司がついてきて、電車の中で自分がいかに可哀想な女の子に理解があり優しく思いやりがあるかをわたしに説いた。空いている電車のシートに隣に並んで座った上司の太腿はわたしのそれにぴったり触れていて、わたしは左太腿の感覚をシャットアウトするのに忙しかった。寄り駅に着いて「じゃあ…」という歯切れの悪い挨拶を残して車両を飛び出し、上司に渡された「何かあったら連絡して」というプライベートな携帯電話番号のメモを破り捨てバイト先の電話番号を着信拒否にした。


 前述のバイト先ーー西荻窪のパチンコ屋ーーは、その上司が気持ち悪くて一日で辞めた。お金をもらうために働くのだから職場で人間関係を構築する気は更々なくて、そう決めてしまえば何もかもがとても楽だった。パチ屋の次に勤めたテレアポの事務所は西新宿にあり、教えられたとおりパソコンを睨んで受話器の向こうと会話をすればそれでよかった。たびたび、朝礼で名前を挙げられ褒められることがあった。わたし宛ではない電話に出て機械のように処理をして、言われたとおりのことをしているだけなのにみんなの前で誉められるのが不思議でしょうがなかった、みんな同じ研修を等しく受け、同じ制服を着て同じパソコンを睨む、だのにわたしだけ何か言われるのがどうしても理解できなくて、誉められる度これは職場で人間関係を築こうとしないわたしに対する遠回しな嫌味なのかと本気で考えた。声優を目指しているというバイトリーダーの男の子は最近何かのパソコンゲームに採用されたと喜んでいて、そのゲームのタイトルをわたしに確かに教えてくれたのにその子と別れ改札を通る頃にはすっかり忘れてしまっていた。


>>>いつかつづく