横顔

「逃げちゃおうか」と発したのはわたしの唇、無意識でポロリ出たそれに自分で驚き、そうして真剣に考える。このままこの子の手を引いて逃げてしまおうかと思う、このままこの子の手を引いて逃げてしまうことを考える。中卒でも2人分不自由なく食べて行ける仕事はあるのか、病気になって入院なんてことになったらどうしたらいいのか、当座無職でも住む場所はすんなり見つかるのか、明日の塾の宿題わたしは今夜やらなくてもいいのか。命をかけてもこの子を守って2人で生きて行くんだという真摯な思いはあっという間に現実に負ける、指先からそれが伝わり「帰ろっか」と彼女は言う。

 わたしのことを今好きだというのが本当だとしてもきっと、普通に結婚して子供を産んだりしたくなる時が来る、そうしたらわたしは重荷にしかならなくて、だからわたしが今するべきは、彼女を家まで送って大人しく帰宅して、明日の宿題をすることだ。

 

 男の子と違っておんなのこのそれはやわらかくて安心すると彼女は言う、男の子の手は大きくてごつごつしていて指も太い、だからなんだか居心地が悪いと言う。左側にするりと位置取りなれたしぐさで指と指を絡める彼女には、最初の頃のぎこちなさなど1mmも残っていない。次に誰かを好きになったとしても無邪気にするりとその人の手をとるのかなと苦しくて死にたくなる、わたしの手じゃないいろんなものを、彼女は自分の意思でつかむ。

 ナントカ君に告白されてこの前遊んだ、ナンタラ君とはたまに二人で会ってはいるけどごはんを食べているだけだよ。わたしが心配しないようにといちいち報告してくれるのはうれしいことなのかもしれないけれど多分彼女はわたしがナントカ君やナンタラ君について調べて家で一人で嫉妬していることを知らない。そして彼女に告白したナントカ君やナンタラ君とこっそり知り合って、わたしが彼らと寝たりしていることにもきっと気付いていない。何をしたいのか誰かに聞かれてもわたしきっと答えられない、わたし自身にだってわかっていない。

 全部知ったら彼女はわたしのことを嫌いになるかな、いっそのことそうなってしまったらいいのに。なんにもしないで忘れられるより、嫌われてしまったほうが諦めがつくんじゃないかなと思うのにそうできないのは、もしかしたら高校も大学もその先も、彼女の右側にいられるんじゃないかというばかみたいな希望を捨ててしまえないせいで、わたしは本当にどうしようもなく、絶望的に頭が悪いのだ。

十三

 新宿三丁目に向かう車内に流れた『次は三越前』というアナウンスで、わたしたち乗客は丸の内線と銀座線の融合が本格的に始まったことを知る。
 例え東京に住んでいたとしてもこの路線をよく利用していなければわからない程度の、地球規模で見ると本当に小さなこの変化はしかし、どうでもいいと断じるには大きすぎる程度の変化だ。手帳の巻末についている東京都心部地下路線図はゆるやかに使い物にならなくなる、2015年度の手帳を書ったばかりなのにとわたしは憂う。
 祝日の変更、消費税の増税、地下鉄の融合。実際の煩わしさよりもむしろ、通販のカートシステムやカレンダーの印刷、そういう莫大な作業を思い浮かべてすこしうんざりする。

 さて、新宿三丁目へ向かうはずだったこの電車がどこへゆくのか、今ではわたしたち乗客はもちろん、車掌さんにだってわからない。地下鉄の融合とはそういうものだ。それを人が死なない天災としてすんなり受け止め、わたしたちは今日の予定を正確にこなすことを諦める。
 少し前まではほんの少しの遅延にも激怒し駅員に詰め寄るおじさまを見かけることがあったが、今ではみんな予定が狂うのに慣れてしまった。地震や噴火や大雨と違い人が死ぬことはほとんどないこの天災は、ただそこに発生するだけで、そしてわたしたちは等しく慎ましく、それが通り過ぎるのを待つ。
 銀座線と融合した丸ノ内線は既に新たな線路を見つけて突き進むから、三越前の次にどこにいくのかはもう誰にもわからない。次で降りたら見知った場所に引き返せるけどそれでは全くつまらない、つまらないから、わたしは今日も終点まで降り過ごすことを決める。
 辿り着いた終点からうまいこと振替輸送のバスがわたしの家まででていればいいのに、そうしたらわたしはまっすぐ家に帰って今日こそきっと、家で待っている君の目を見て、君のことがすきだよって告白をするのに。

カウントダウン

 今度はいつ飽きるんだろうと思いながらひとを好きになるようになった、多分あと1回2人で会ったらわたしは満足して彼に飽きる。大教室で顔を合わせても最後のその1回は消費されない、だからわたしがこのまま彼のことを好きでい続けるためには彼と2人でもう会わなければいい。そうすればわたしは彼のことをずっと、昨日や今日みたいにずっと、24時間恋い焦がれていられる。
 だけれどもわたしはできることなら今すぐ彼に飽きたい、2人で向かい合って座って何時間か話をして会話の端々に違和感を感じたい、さりげなく手を絡めてあわよくば抱き合ったりもしたい。そうして馴染まない不愉快な体温に、君とわたしは最初から最後までずっと他人で、一緒になんていられないって実感したい。
 このまま彼と大教室で、目線を交し合って架空の秘密にどきどきしていたいとも思うけど、それでもやっぱり今すぐ飽きたい、そうして早く次の、次にわたしが好きになるべき人を見つけにゆくのだ。



「一緒にいてくれそうなら誰でもいいんでしょう」という、わたしの自称親友・あかりの指摘は間違っている、彼女はわたしのことをわかっているようでわかっていない。「わたしが一緒にいたいと思った人で、わたしと一緒にいてくれる人ならだれでもいい、の間違いだよ」って指摘したわたしにあかりは「全然間違ってないじゃん」と言う、それもそうか、間違っていないか、とわたしも思う。
 くしゃくしゃに縮めたストローの袋が水滴を吸ってうねうね動くようにわたしの触手は伸びる、でもそれはあくまでも、水分がある方向にしか伸びないのだ。



 三箇日くんは同級生のわたしから見ても感じのよい青年だった、授業態度も申し分なく、大学1年生にありがちなちゃらちゃらした感じもなかった。後藤くんに恋に落ちている最中から、あ、次はこの人を好きになるな、と分かっていた。そしてその予想通り、後藤くんに飽きたあと、なんとなくのなりゆきで三箇日くんと二人でご飯を食べに行ったわたしは、彼のことを好きになった。
 教室で顔を合わせる彼の、知らない面をどんどん知った。ご飯を食べる数時間、たったそれだけでクラスメイトの仮面がはがれた。わたしは三箇日くんをどんどん好きになり、そして彼の声音や助詞の使い方、語尾の伸ばし方や相槌の打ち方に、どんどん違和感を感じる。

 三箇日くんに恋をしていられるのは、次に彼と2人で会うまでのあとわずかな期間だとわたしはもう気付いている。例え三箇日くんに飽きたくないと願って、そうして彼と2人で会うのを避けたとしても、恐らくひとつきあればわたしは、三箇日くんに飽きるのではなく、三箇日くんを忘れる。それはとても寂しいことだから、最後に彼と抱き合って、そうしてきちんと彼に飽きたい、それが三箇日くんへのわたしの誠意だ。

京都01

京都府立医科大学附属病院放射線部の男に会いに生まれて初めての新幹線に乗った、京都へ行くのは高校の修学旅行以来だった。東京でしか売っていないからと頼まれて買った某プロレスラーの公式グッズのパーカーを、バカ正直に買って行って渡したけど代金はもらえなかった。
天下一品というラーメン屋さんがあるんだよと教えてくれたけれど結局行かなかった、狭い六畳の下宿は万年床だし、泊まるとなったらやることは一つしかなかった。

『例え年上でも自活している貧乏青年と親の仕送りで悠々暮らしている大学生では、性別関係なしに後者がいろいろ金銭の面で便宜を図って然るべき』、例えもしそれが大学生であるわたしがまだ知らないこの世の常識だとしても、往復数万の新幹線のチケットを買いお土産を献上し気を遣いながら他人本位にセックスを“させてあげる”のは酷く空しい気持ちになった。然るべき金銭を受け取ってもいい程度の性的労働を強いられているのは不当だと思った、そこに愛情がないならわたしが受け取るべきものこそ金銭だった。
仰向けになった男の膝の裏を両手で押し上げ男を「つ」の字の形にして舐めながら、昼間はSで夜はMだなんて聞いていないし勘弁してくれと思った。「気持ちいい?」聞く男の神経を疑ったけれどわたしは悲しいサービス精神で、とりあえず笑顔で「気持ちいいよ」と答えておいた。

 

半券

 wikiに書いてなかったから結婚してるって知らなかった、来歴と代表作のほかに配偶者のアリナシもちゃんと書いておいてくれないとこまる。雑誌に子育てコラム持ってるくらいならwikiに子持ちだって書いておいてほしい、せめてリンクにその雑誌を貼ってくれ。インディーズで出してたCDはamazonで売ってたから買った、在庫が残り三枚だったからちょっと焦った。昨日ポチったら今日ポストに届いた、インターネットは敵にも味方にもなる。フルネームでググったらライブカメラマンが君のポートレイトを撮ってたから全部右クリックでDLした、わたしには写真は嫌いだって一枚も撮らせてくれないのににっこり笑っていて、カメラマンの名前をこっそり確認した。なんたら香澄って絶対女だしなんなの無性に腹が立つ。


「付き合おう」「うん」がなくても始まる男女の関係みたいなの、爛れてるようで気持ちが悪い、悪いけどそういうふうにしかもうはじめかたなんてわからない。全部知ってる君の友達がみんな揃ってわたしのことを公認の彼女みたいに扱ってたのも信じられない。
 わたしはもう大人だから、「付き合おう」「うん」がない人とセックスしても窘めてくれる友達はいなくて、そして親身になってくれる恋人だっていなくて、だからなにもかも、わたしひとりで決めなくちゃいけない。わたしのことを大切にしてくれるはずだった人は君で、その君にぞんざいに扱われるとすると、わたしはあっという間に、紙屑みたいな存在になってしまう。

 なるべく温度を変えずに「あれ、結婚してたんだね」って聞く、そうしたら君は「今日は天気がいいね」って感じで「そうだよ、言ってなかったっけ?」って返す。返答の温度に浮き沈みが見られなかったことにわたしは若干絶望して、ああそうか、わたしはそっか、そういう存在なんだね、って改めて思い知る。


 いい人を絵に描いたみたいな君の笑顔の裏を探るのがしんどくてそっけないメールしか返さなくなった、簡単に絶縁できない程度にしか君のこと好きじゃないわたしも同罪だと思った。

 

 ライブに行ったらいつも書いていてくれたわたしの名前がゲストの欄からなくなっていて、まごまごしてたら別のバンドの、顔見知りのスタッフさんがあまってたスタッフパスをくれた。そっけなくなったわたしを知らない彼のバンドメンバーが「あれ、今日あいつ、お前が来るって言ってなかったんだよな、ほかのバンドに入れてもらった?」って無邪気に聞くから、わたしは笑ってドリンクカウンターに急いだ。

 こいびとでもないし付き合ってもない、「好き」だけくれたらそれでよかったのに、「ほんとう」とか「誠実」とかそういう、あおくさいものを求めたわたしがわるい。そういうのって全部、「めんどくさい」って定義されるんでしょう、知ってる。

 

 大人になってだいぶたつのに、わたしは全然、大人の世界みたいなものに慣れることができない。『一生慣れる気がしない』って言い切っちゃいたいけど、もしかしたら一年後ぐらいにはすっかり馴染んで慣れてしまうのかなとも思う。レトリックのトリックみたいなものをぶん回すようになって、何事にも傷付かなくなって、でもたまに傷付いた顔をしてみせるような気もする。多分わたしは自分で思うよりも、ずっと図太くて強欲だ。

紺地と白線、鈍色

 口を開けば際限なく唾液が出てきた。粘度の高いそれはしかしとてもさらっとしていて伸びがよく、そしてにおいもしなかった。白く泡立ったそれを右手の三本の指で伸ばし、掠れてくると舌を這わせて唾液を補充しながら範囲を広げた。
 これが塗られている部分はわたしの支配下で、つまりこのひとはもうわたしのものだ。まないたのなんたらとはうまい例えだなと思う、このひとはもう、わたしに調理され食べられるしかない。

 アルファベットの名前の付いたあのポーズはなんて馬鹿らしくて合理的なんだろう。十も年上の成人男性が、左右の足を大きく開いて両腕を体の後ろで突き、下半身をさらけ出してわたしを上目遣いで見るのは、愛おしいのとおんなじくらい、死ねばいいのにと思う。
『あんなことは平凡で、常識的で、適度でなければならないものだ』と、見知らぬ女が青鬼の褌を洗いながら囁く。全くわたしもそう思う。技巧を凝らし雰囲気を作り上げ相手を高める演技は演技でしかなく、それがすなわちサーヴィスなら、わたしは対価に何をもらっているのだろう。

 

『セーラー服』と言ってもデザインは千差万別で、高校のそれは中学のものより生地が分厚くごわごわしており、端的に言うとダサかった。白と紺のセーラー服なんて可愛くしかなりようもないだろうに、生地感とシルエットのせいで絶望的に野暮ったい。胸当てのスナップボタンが外れないように気をつけながら、バンザイをしてわたしはそれをすっぽりかぶる。
 背中に垂れた大きな襟の、二つの角には小さな銀色の鈴がついている。鈍く濁ったそれは低く小さく、しかし鋭い音で鳴り、生徒たちの場所を教師に教える。
 すでに結んだ形で脱着できる短い紺色のタイを、これまたスナップボタンで留める。胸当てとタイのスナップボタンは留めにくく外れやすい、だから極力外さずに制服を脱ぎ着したいのだけれど、タイをつけたまま脱がれたセーラー服はなんだか死骸に見えるから、わたしは帰宅するといつも真っ先にそれを外し、そして着るときは一番最後につける。特徴的な鈴よりも、タイこそがこのセーラー服の要、わたしたちを監視する目だと思う。

 歩くたびに背中からリン、と、低く涼しい音が聞こえる。

 わたしはそれを魔除けに感じる、タイは嫌いだけれど鈴は好きだ。制服を着てしまえば誰も、わたしのこれを脱がせない。ただ一人わたしが自分で脱ごうと決めない限り、誰にもわたしを侵せない。
 鈴の音が邪悪なものを遠ざけてくれるというのは先生の説で、教師が私たちの位置を把握するためなんて理由は到底周りに受け入れられるはずがなく、だから彼らはことあるごとに、鈴の理由を魔除けに求める。
 でもわたしはそれを正しいと思う。歩くたび鈴がリンと鳴る、わたしの背後でリンと鳴る。
 そこのけそこのけ、とわたしは思う。まないたの上にはもう、醜い残飯しか残っていない。

奥野と奥村

 わたしの恋人と親友の名前はとても似ている、奥野と奥村。わたしの携帯のアドレス帳には二人とも、フルネームで登録がされている。いまだにガラケーを使っているわたしのメールボックスには、奥野某からのメールと奥村某からのメールがずらりと並ぶ。
 恋人がいて親友がいてもいわゆる「ぼっち」というものは存在する、それがつまり、わたし。親友も恋人もいればさみしいことなんかないみたいな気がするけれど、わたしには物理的にひとりの時間が長く(それも、かなり長く)あり、つまりそれはもう「ぼっち」と呼んでもいいのではないか、と思っている。

 

 高2の時に出会った奥村――こっちが親友――はともかく、奥野とは出会って半年強。友達作りが非常に苦手なわたしはしかし、不思議と恋人は途切れない。これは決してモテるモテないという問題ではなくて、恋人でもいなければ「本当にひとり」になってしまう、そのことへの危機感というか、必然性のようなものからそうなっているのだと思う。友達すら作れないのに恋人ができるのは自分でもなんだか不思議だけれど、海岸でぼおっと砂浜を眺めていたら、なんとなく手にとっても良いかなと思える貝殻を見つけてそれをポケットに入れるような、そんな感じで恋人は、いつも、できる。

 恋人になる人の名前は不思議といつも似ていて、こうちゃんが2人、まあくんは3人、ゆうちゃんに至っては5人いて、でも奥野はそのどれにも属さない。出会ってすぐに(付き合ってすぐに、とも言う)わたしは奥野に、彼を苗字で呼ぶようにお願いをされた。奥野の前の彼女が奥野のことを、それこそこうちゃんやゆうちゃんみたいに下の名前の愛称で呼んでいるのをわたしは知っていて、だから奥野の言う「ぼく、苗字で呼ばれるのが好きだから」にどんな顔をしていいかわからなくて、とりあえず笑って頷いておいた。奥野の下の名前、確かXXXだったっけなってたまに思い出したりするけれどそれはなんだか現実味がなく、奥野はわたしにとっては今も今までもこれからもずっと、奥野でしかあり続けない。

(いつか続く)